研究員コラム  熊谷哲
2014年5月30日 23:59

 復興と行政刷新を担当されている大臣政務官一行が来られたのは5月14日。釜石市から大船渡市、陸前高田市まで随行し、現地の案内をすることが私の役割だった。震災対応のみならず、これから本格的な復興に道筋をつけていくために期待の大きい新日鉄釜石と太平洋セメント大船渡工場にはアポイントを入れ、現場の空気を直接感じ取って欲しい避難所や物資拠点などは飛び込みでの訪問とした。


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2014年5月23日 23:32

 震災後はじめて迎えるゴールデンウィークを境に、被災地では避難所避難者が激減していた。もっとも強く感じられたのは、避難所での生活にもう我慢できなくなったということだった。集団生活で自由がきかない、他人の目に囲まれて気持ちが休まらない、いつも同じような食事で飽きる、単調な生活の繰り返しでめいってくる。避難所を離れた理由として、そうした点を挙げる人がとても多かった。なかでも、2か月続く避難所生活の中で他者との小さなトラブルや諍いごとが増えてきていて、それを避けたいという人も数多く見受けられた。


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2014年5月16日 23:02

 4月半ば頃、国の対策本部から避難所の定点観測をするという方針が伝えられた。避難所の状況がどのように移り変わっているのか知りたいから、というのが趣旨のようだった。だが、対象となるのは現地対策室の置かれている被災3県それぞれ2か所ずつ。報告も1週間に1回程度の想定。思いはわからないでもないが、避難所の状況は千差万別だし、2か所の状況を知っても全体を推し量ることなど到底できやしない。


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2014年5月 9日 17:30

 震災後はじめて迎えたゴールデンウィークには、県内外から多数のボランティアが被災地を訪れてくれていた。水産加工場の冷凍庫から流れ出した数万尾の魚を拾い集める学生たちは、すでに腐敗が進んでつかみづらい上に、ゴム手袋を二重にしても手に染みついてくる臭いと格闘していた。この機会を捉えて里帰りした人たちは、故郷の惨状を目の当たりにしながらも、自分に何かできることはないかとさまざまな動きを見せていた。


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2014年4月25日 23:04

 震災後初のゴールデンウィークを前に、被災地で見かける現地調査の顔ぶれも変化していた。政務三役や国会議員、省庁関係者という人たちに替わって、統一地方選挙を終えた地方自治体議員や、緊急支援から復旧・復興支援へとギアを切り替えようとしているNPO関係者などの姿が目立ってきていた。地元でも、そうした外部からの支援者と力を合わせてみずから復興に取り組もうとする人たちが現れていた。


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2014年4月18日 18:06

 震災からひと月以上経って、前を向いて何とか歩みはじめようとしている様子の被災者も、直接お話をうかがってみると、それぞれの心に未だに癒えることのない傷みを持っていることが痛切に感じられた。


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2014年4月11日 23:05

 4月も半ばを過ぎた頃になると、避難所をまわっていても地域再生と生活再建の話題が中心となることが増えてきた。その方向性としては、もともとの地区内の高台に場所を移して再建したい、浸水区域内で再び津波に襲われる恐れがあっても元の場所に再建したい、地区にはこだわらず仕事や子どもの学校を考慮して新たな居を求めたい、という概ね3つのパターンに分かれていた。


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2014年4月 4日 23:53

 震災からひと月あまりたった頃。 全国から集まる支援物資、それを管理する集積所、必要としている避難者、それぞれの間のミスマッチがさらに拡大していた。「○○が必要だ」と報道や周知されたモノに支援が集中する「量」のミスマッチ、必要とされた時期と現場に届けられる間の「時間」のミスマッチ、避難者のニーズと管理・配送の担当者との間の「情報」のミスマッチ、ある市で多くの要望のあるモノが隣の市で余っている「管理」のミスマッチなどが、やむを得ないとは言えない水準まで達していた。


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2014年3月14日 22:13

 ただ話を聞いてまわるだけでは避難所の様子がつかみきれないだろうと、泊まり込んでみてはどうかと勧めてくれたのは高校の同級生の市職員だった。向かった先は、陸前高田市の地区本部が置かれている小学校。ここでは、地元学区の方々は小学校に隣接しているコミュニティセンターに避難し、小学校には隣の学区から避難してきている人たちが入っていた。これは藩政期から別の村だったことが大きく関係しており、避難生活や避難者支援も、その歴史や特性を十分考慮しなくてはならなかった。その避難所での4月半ばの一日を、ここで紹介しておきたい。


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2014年3月 7日 17:18

 震度6強を観測した余震に一瞬ヒヤリとしたものの、それほど大きな混乱もなく、余震前の状況を取り戻すのにそう時間はかからなかった。心配されたライフラインの途絶も、翌8日夕方の電力復旧を皮切りに順調に回復していた。ただ、それはあくまで余震前に戻っただけのこと。震災からこの方、電気がつかず水も途絶えているところにとっては、「何も変わらない」日常に他ならなかった。


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