研究員コラム 永久寿夫 blogtop
2015年5月11日 17:28


 選挙権年齢が18歳以上に引き下げられる見通しである。憲法改正の国民投票の権利が20歳以上から18歳以上に引き下げられるのに、選挙権が20歳以上のままでは不合理ということだ。世間的にはおおむね好評で、今年3月に読売新聞が行った世論調査では、「賛成」が51%で、「反対」の43%を上回っている。賛成の理由に「引き下げによって社会の一員としての自覚を促せる」「少子高齢化の中でより多くの若者の意見を政治に反映できる」がある一方、反対の理由として「まだ十分な判断力がない」「引き下げても投票に行く若者が増えるとは思わない」が上げられている。


 この選挙権年齢の引き下げ自体には、本質的な重要性はない。18歳の若者に社会の一員としての自覚を促せるという意見があるが、いまの大人を見ると、選挙権だけで自覚がもてるわけではないのは明らかだ。若者の意見を政治に反映させることは、有権者と政治家がその気になりさえすれば現状でもできる。一方、十分な判断力がある18歳もいれば、何歳になってもそうした力がつかない人もいる。投票に行く若者は物珍しさで一時的に増えたとしても、それで何も変わらなければ、投票率はまた下がるだろう。


 何が大事かと言えば、政治を「自分事」としてとらえると同時に、社会全体を俯瞰する力を養うことである。換言すれば、自分の利益を追求しつつも、社会全体を成立させるために何をすべきかを見極めて行動できる人間、すなわち、よき「市民」「公民」をつくることである。それによって、政治がうまく機能し、持続性のある社会を創出する可能性が広がる。少子高齢化と人口減少で将来の財政が厳しくなることが分かっていながら、国が補助金や仕事をばらまいたり、有権者がそれに飛びついて、孫子が背負う借金を増やしているのは、意識の上ではよき「市民」「公民」であっても、行動がそれに伴っていないことのあらわれではないか。


 選挙権年齢18歳への引き下げは、よき「市民」「公民」をつくるための引き金にしなければ意味がない。すでに多くの人が求めているように、高校さらには中学において、「シチズンシップ教育」「主権者教育」と呼ばれるものを充実させていく必要がある。こうした求めに応じるように、下村文科相が、すべての高校生に選挙や政治への関心を高める副教材を配布すると述べたのは喜ばしいが、その内容が(1)選挙の意義や制度の詳しい解説(2)模擬選挙などの実践が可能なワークシート(3)学校内の政治活動の制限や選挙違反に関する注意、が柱になるという点については、単なる暗記物にならなければよいがと懸念する。


 シチズンシップ教育が盛んな国々では、いま現在政治的論争となっている問題も議論の対象となるし、教師は生徒に押し付けないかぎり、対立意見の紹介とともに自分の見解を表明することが認められている。こうしたことを通じ、制度やその意義のみならず、実際にいま生じている問題について、生徒たちがそれぞれ自分なりに理解を深め、解決方法を考える手助けをすることが、教師には期待されている。生徒たちが、自分の利益を追求しつつも、社会全体を成立させるために何をすべきか考え行動する「市民」「公民」になるには、そうしたトレーニングが欠かせない。


 しかし、現在の日本では、学校教育の現場でそうしたトレーニングを行うのは事実上不可能である。わが国の教育基本法の第8条には「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない」とある一方、第二項では「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」とある。そして第二項を補足するように、「文部省初等中等教育局長通達」(1969)には、現実の具体的な政治的事象については取り扱わない、さらに教師の個人的な見解や主義主張を入れないよう指示する内容がある。過激な学生運動を抑制する目的があったことは理解できるが、これでは、いくら新しい副教材がつくられても、現状の「社会科」の枠を越える「シチズンシップ教育」「主権者教育」はできないだろう。


 この通達をまずは無効とし、ドイツのボイテルスバッハ・コンセンサスイギリスのクリック・レポートのように、政治的中立性を保ちつつ、生徒の政治リテラシーや政治参加への意欲を養えるよう、教師がより柔軟に指導できるガイドラインをつくると同時に、教師が戸惑わないよう、具体的に生徒間の議論をファシリテートできるような、そうしたスキルを学ぶ機会をつくっていかなければならない。さもなければ、選挙権年齢の引き下げは、あまり意味のないことになってしまうことを、いま我われは認識する必要がある。