中東情勢が変化する日
アメリカは虎視耽々と政策変更の時期を窺っている
Voice 1998年3月号

文責:国際問題研究部 橋本光平

 湾岸戦争で、アメリカによる平和−パックス・アメリカーナが湾岸に訪れ、湾岸が安定したと見る向きが多いが、たいへんな誤解である。事実は逆で、現在の湾岸諸国の安全保障は、アメリカ中東外交の失策によって、アメリカ軍の強力な軍事力なしでは成り立ち得ない、非常に不安定な状況にあるという認識が正しい。 極論させていただけば、アメリカの対中東政策は、失敗の連続であった。パーレビー時代のイランに肩入れして、湾岸諸国への足がかりを作ったアメリカは、宗教に基づくイランの大衆運動の力を過小評価し、1979年にイラン革命を招く。以後、イラク支持にまわったアメリカは、サダム・フセイン率いるバース党の拡大主義に目をつぶりつつ、目先の敵であるイラン封じ込めのために、イラクを強力に支援した。そして、イラン・イラク戦争終結以降のイラクの動向を軽視したアメリカは、サダム・フセインの意図を解釈しきれず、クウェート侵攻を許し、湾岸戦争を誘発することになる。結果、アメリカは湾岸諸国の安定を自らの強大な軍事力で直接管理しなければならないという、お世辞にも上策とはいえない現在の安全保障体制を演出せざるを得なかったわけである。

イラクでサダム・フセイン体制が生き残り、その拡大志向に対して湾岸諸国を防衛する目的で湾岸に展開する米軍は、現状において、湾岸に平和と安定をもたらす、恐らく唯一の存在であることには、まったく疑念の余地がない。しかしながら、われわれは、アメリカの力に頼らざるを得ない現在の湾岸安全保障がかなり不自然なものであり、長期的に見ると湾岸諸国もアメリカも、現状を維持することに関してはかなりの矛盾が出てくるであろうということ、さらに、決してベストな選択に基づいて策定されたわけではないこの不安定な中東政策の転換を行うべく、アメリカの中東政策担当者は、虎視耽々と、政策変更の時期を見定めているということを、日本の政策担当者は認識すべきである。

歴史的に見ても明らかなように、アメリカの中東政策は、得てして急変する。79年の親イラン政策から親イラク政策への変更、90年の親イラク政策から反イラク政策への変更などは、事の性格上、やむお得ない政策転向ではあったが、こういう重要な政策変更が、一夜のうちに行われ得るということを、関係者は、肝に銘ずるべきであろう。日本は現在、湾岸諸国におけるパックス・アメリカーナを過大に評価しているきらいがあるが、アメリカが対中東政策の変更を決定した場合、その後の状況がどうなるのか、常々考えておく必要がある。

ただし、昨今、急速に進展しているかに見えるイランの対米歩み寄りは、湾岸安全保障の基本概念を揺がすほどの影響力はないということを、あらかじめ言明しておかなくてはならない。以下に理由を述べる。

歴史に裏付けされた鉄則

まずはっきりしておきたいのは、湾岸地域において、歴史的に敵対関係にあったのがペルシャ勢力とアラブ勢力であり、その境界線がチグリス川であったという点である。チグリス川は、現イランとイラクの間の自然な境界線を築いているが、歴史的に見ても、ペルシャの拡大期には、きまって、チグリス川を挟んだ攻防が繰り広げられ、このチグリス・ラインが破られた時は必ず、湾岸諸国全域がペルシャの支配下に繰り込まれている。すなわち、このチグリス・ラインこそが、ペルシャに対するアラブ世界の、最終防衛線であるということである。

このチグリス・ラインの概念は、現在なお有効である。敵が一旦チグリス・ラインを越えると、そこからサウジアラビアをはじめ、他の湾岸諸国に至る道には、一切自然の防壁が存在しない。このことは、湾岸戦争時に、イラクからサウジまでの進入が、いかにたやすかったかを考えると、容易に理解が可能である。つまり、現時点でチグリス・ラインを押えているイラクとは、ケンカをしてはいけないというのが、歴史に裏付けされた湾岸諸国の鉄則である。

湾岸諸国で構成されるGCC(湾岸協力会議)の安全保障哲学の根本も、実はイラクを湾岸諸国の最終防衛ラインとすることであって、イランとイラク両国が湾岸諸国に敵対するケースを想定した政策は存在していなかった。1979年のイラン・イスラム革命勃発直後、イラクのサダム・フセインを担ぎ出して、イランに対する防波堤として機能せしめたのは、他でもない湾岸諸国であった。

つまり、湾岸諸国にとって、イランとイラクが、互いに牙をむき合っている状態が、安全保障上、最良の状態ということである。湾岸戦争以来、確かにイラクの牙は抜かれたかもしれない。しかし将来、生え変った牙が、特にアメリカのサポートを受けてきたクウェートとサウジアラビアを向く状態は、湾岸諸国にとっても、アメリカにとっても悪夢以外の何ものでもない。そこで、結局アメリカは、サダム・フセイン体制が続く限り湾岸諸国の防衛を買って出なければならず、またそのことがイラクを刺激し、将来の不安定材料を増大させつづけるといった悪循環をもたらしているわけである。

今後、長期にわたる湾岸の安全保障を考える場合、湾岸諸国をはじめ湾岸からの安定的原油供給が国益の最重要課題となるアメリカと日本が真っ先に考えなければならないのは、いかにしてイラクを湾岸諸国の同盟国として復帰させ得るかという点である。

後述するが、昨今、急激に進展しているかのように見えるイランの対米歩み寄りは、それ自体非常に歓迎すべきものであって、もしもアメリカ・イラン二国間の政府レベルでの対話が実現し、それが両国の友好関係につながった場合は、もちろん湾岸諸国の安定にとっても、最も望ましい展開となるであろう。しかしながら、イラクの湾岸諸国への復帰という命題は、アメリカとイランの関係如何にかかわらず、地政学上、厳然として存在する性格のものであり、イランとの関係が修復したから、イラクは必要無いなどとは言えない問題なのである。

イラクをめぐる二つのシナリオ

近い将来、アメリカの中東政策に、何らかの変化をもたらす要因が4つある。一つがサダム・フセイン体制が何らかの形で崩壊した場合。二つ目は、湾岸諸国が独自にイラクに歩み寄る可能性。三つ目が石油の需給バランスの変化、最後が、イラン・アメリカ関係の動向である。

まず、イラクにおいて、サダム・フセイン体制が何らかの形で崩壊した場合、これは間違いなくアメリカの中東政策の転換を意味する。アメリカも、同盟国サウジアラビアとクウェートの隣国に強大な軍事力を擁する国家が牙をむく状況に、早急に終止符を打たねばならないことは先刻承知である。

しかしながら、イラクにサダム・フセイン体制が続く限り、イラクとの根本的な和解は考えられない。もちろん、国連経済封鎖の解除などは、先進諸国との兼ね合いを考慮して部分的に同意せざるを得ない事態も将来的に出てくるだろうが、イラクの動向を監視し、不審な動きがあれば武力行使も辞さないという従来の強硬姿勢に基本的な変化はないであろう。

ところが、いったんサダム・フセイン体制が崩壊してしまえば湾岸戦争以来のしこりが取れ、アメリカは湾岸のパワーバランスを元の自然な状態、つまりイラクを湾岸諸国の同盟国に引き戻し、イランとの防波堤の役割を担わせるために全力で努力するであろう。よって、イラクとアメリカとの関係修復と、それと同時に行われるであろうイラクと湾岸諸国の関係修復は、時間が自然に解決する問題と考えて良い。

ただ、アメリカにとっての悩みの種は、サダム・フセイン政権が健在なうちに、イラクに手を差し伸べる国が出てくることである。イラクに対しては、すでに中国、ロシア、さらにフランスなどが、国連経済制裁の解除を数年来主張している。アメリカ側は、それに対して強硬に反対姿勢をとりつづけているが、昨今、そのようなアメリカの強硬姿勢に対して国際的な不快感が高まっており、アメリカがもう一年、経済制裁の継続を頑なに主張できる可能性は、微妙になってきた。

さらに、イラク取り込みの遅れに痺れを切らした湾岸諸国が独自にイラクに歩み寄る可能性も出てきた。これに関しては、アラブ首長国連邦(UAE)、カタールなど数カ国が、すでにイラクとの交渉を開始しており、UAEにいたっては、国連経済封鎖を公然と破って、密輸を繰り返しているのが現状である。

湾岸の最重要国サウジアラビアに関して言えば、親米のファハド国王在任中に、サダム・フセインと直接交渉が行われることは考えられない。しかしながら、アブドラ皇太子が次期国王の座に就いた時には、拭い去ることのできないシナリオである。サウジアラビアの安全保障は、イラク抜きには語ることが出来ない。ましてや、両国の間に物理的な国境線が存在しないという地理的条件のもとで、イラクがサウジアラビアに敵対した場合、とり得るオプションは、事実上親イラク政策のみである。

現在は、アメリカ軍の駐留により、力でイラクの進入を阻止することに辛くも成功しているが、サウジアラビアは、基本的にイスラム原理主義の国であり、アメリカ軍の長期駐留は、必ずしも歓迎できない精神的土壌がある。さらには、安全保障面でアメリカ軍に依存する体質が長期化すればするほど、イラクとの関係がこじれるばかりか、アラブ人のあいだにも広くアメリカ=サウジアラビアという図式が定着化してしまう。これは、アラブの盟主たるサウジの将来にとっては相当程度のマイナス材料となる。

そこで、現在、サウジアラビアは、あからさまにイラクの神経を逆なでする声明は控えるという状況になってきている。親米派の現ファハド国王の統治下では、よもや単独でサダム・フセインと手を結ぶことは考えられないが、どちらかといえば親欧米派とはいえないアブドラ皇太子の即位後は、「米国に守られるサウジ」という認識を払拭するため、サダム・フセインのイラクと直接交渉に入る可能性も捨て切れない。直接交渉とはいかないまでも、「イラク国民に対する経済的締め付けは、すでに十分すぎるほど行った」などの声明を出して、イラク国民にメッセージを送るくらいのことはやるかもしれない。

サウジアラビアは、独自の外交努力によって、アメリカ一国の力のみに頼らざるを得ない現在の状況から、どうにかして抜け出したいと考えている。実際、アブドラ皇太子は、近年数回にわたってイラン入りしており、97年の12月にテヘランで開催されたイスラム諸国会議機構(OIC)では、イラクのラマダン副大統領その他の湾岸諸国首脳とともにイスラム諸国の結束を訴えかけた。

イラクが牙をむき、イランのイスラム革命分子が湾岸にのさばるようになると、とても一国の力では太刀打ちできないことを熟知しているサウジアラビアとしては、イラン、イラク二カ国、特に後者と友好関係を維持することが、国益の最重要課題である。そこで、もし、サウジアラビアが、独自の外交努力による湾岸の安定に固執することがあれば、アメリカ軍は、湾岸駐留を正当化するすべを失い、パックス・アメリカーナが、サダム・フセイン体制の終焉を見る前に崩壊してしまう危険性が生じてくるわけである。

イラン・ファクターをどう読むか

次に、石油の需給バランスの変化と、供給先の変化が湾岸の安定に影響を及ぼす場合を考えてみよう。まず、世界のエネルギー需要量は、2010年には1991年の48%増しとなることが予想されている。このうち約4割が石油によってカバーされることになる。また、需要の伸びはアジア諸国で特に著しく、2010年には、1991年における日本の需要量の2倍近い石油需要が、中国を含めた東南アジアで創出され、中東で産出される石油の9割近くを、これらのアジア諸国のなかで分配しなければならなくなる事態が到来する。つまり、新規油田開発が進まず、供給量が期待どおりに伸びていかないシナリオの場合、2010年頃に、一旦需給のバランスが崩壊する時期がやってくると考えられている。

そこで、アメリカ、日本をはじめ先進工業国の注目を集めているのが中央アジア諸国の油田である。現在、カザフスタンやアゼルバイジャンなど、カスピ海周辺国家の原油埋蔵量は推定2千億バレルとされ、その量は、現在世界最大とされるサウジアラビアの埋蔵量に匹敵すると言わる。また、トルクメニスタンに存在する天然ガスの埋蔵量も、同様に相当程度期待されるという調査結果がある。それらの油田・ガス田開発のために、欧米の大手石油会社が乗り出しているが、技術的には今からでも掘り出せる状態にあるということである。問題は、採取した原油を、どのようなルートで運搬するかという点のみであるが、これが難しい。

現在出てきている案は3つあって、最も可能性が高いとされてきたものが、トルクメニスタンからアフガニスタン経由でパキスタンにパイプラインを通すというプロジェクトである。これが実現すれば中央アジアの原油、天然ガスを、パキスタンから、つまりペルシャ湾を通ることなく入手可能となり、また輸送距離も大幅に短縮が可能であるため、日本その他のアジア諸国にとってはまさに天恵の構想である。

ただ、この計画を実現するためには、アフガニスタンが、親米政権の下で、長期に安定していなければならない。しかしながら、現在のところアフガン情勢は混沌としており、アフガン越えのパイプライン構想は事実上頓挫しているのが現状である。

他の二つの案は、中央アジアから中国に至るパイプラインを建設する計画と、ロシアやトルコなど西方へ通じるパイプラインを建設する計画であるが、いずれも建設費がかさむ上、後者はチェチェン共和国、アルメニア共和国など、政治的に不安定な地域や隣国と政治的問題を抱えている国々を通過する関係上、遅々として計画が進んでいないのが実態である。

そこで出てきたのが「イラン経由」という発想である。もともと、中央アジアの原油や天然ガスは、直接イランを通して湾岸に南下させるのが一番短距離で、コストもかからない方法である。さらには97年12月、イラン政府は、カスピ海原油を代理輸出するという、いわゆる「スワップ」構想を提案して、かなりの脚光を浴びている。

この構想は、コストがかさみ、政治的安定度に左右されるパイプライン敷設の代案として提案されているもので、カスピ海沿岸諸国で産出される原油をイラン国内で精製してイラン国内の消費にまわし、それと同額のイラン産原油を、イランから直接アジアなどに輸出して、代金をカスピ海諸国に支払うという内容である。

このプロジェクトが機能すれば、2005年前後までの同地域の原油増産予定分をほぼカバーできるとされ、まさに、中央アジアの原油を念頭に、影響力の拡大をめざすアメリカの心情を見透かしたような提案であるが、これにアメリカが乗ってくると、イランとの関係が急激に緊密化するというシナリオも否定できない。実際アメリカはカスピ海諸国の原油・ガスを輸送する目的でイラン国内に建設するパイプラインなどに関しては「対イラン・リビア制裁強化法」を適用しない方針をすでに出しており、現在のところ、イランとアメリカの意思疎通は、巧妙に図られているというのが実感である。

また昨今、アメリカにおけるイラン観にもかなりの変化が生じてきている。イランの穏健派を擁護して、イスラム過激派の勢力を弱めるべきであるという議論は、1990年代初期から、方々でよく論じられてきた点であるが、昨今は、従来見られなかったハイレベルでのイラン対話再開論が展開されている。

昨年5月には、第一期クリントン政権の国家安全保障担当補佐官を務めたスコウクロフト氏を初め、ブレジンスキー、マーフィー元国家安全保障担当補佐官が、対イラン対話再開を示唆する共同論文を発表。また昨年末には、イラン革命によって政権を揺がされた当事者であるカーター元大統領が、テレビのインタビューで、イランに対する恨みはまったく無いという発言を行うなど、アメリカ外交政策に影響力を及ぼし得るレベルでの、イラン歩み寄り発言が相次いだ。さらに、本年度初頭には、イラン大統領がCNNを通じて、アメリカ国民に直接語りかけるという「事件」があった。その後の報道を総括すると、少なくともアメリカ国民には非常にウケが良かったようである。

この事から、今後は、アメリカとイランが手を結び、イラクに対する圧力をかけるべしとする積極的な論評もアメリカ国内で出てきているが、79年に痛い経験を積んだアメリカが、再びイランに対し、軍事を含む政治的支援を行うことは、到底考えられない(はずである)。もし、それが行われるならば、それは湾岸の自然な安全保障のバランスを崩す、愚策中の愚策となるであろう。

アメリカがイランに対して最大限望むものは、将来の石油資源となるカスピ海沿岸地域へのアクセスと、それを確保する長期安定政権の出現のみであろう。本年度の中間選挙で、イランとの対話再開が民主党に有利に働きかけるようであれば、本年度中旬には、対イラン制裁強化法撤廃を含む、何らかの動きが期待される一方、政治的には「テロ支援国家」のラベルを、イラン自らが剥がすべく、行動で示すよう要求していくことには、基本的な変化はないと思われる。つまり、経済面、特に中央アジアのエネルギー資源の関連で両国が手を結ぶことはあっても、片方の手はまだ剣を振りかざしている状態はしばらく続いていくということである。

結局、今後しばらくイラン・ファクターは、湾岸安全保障体制の基本的枠組みには大きな影響を及ぼさないと考えるべきであろう。繰り返すが、湾岸諸国の長期安定に影響を与える最大の要因は、湾岸諸国の「自然な同胞国」であるイラクの平和的復帰であって、そこまでにいたる過程での失敗は許されないのである。

日本外交も下準備を怠るな

この様な状況において、日本が独自にとり得る政策の幅は非常に限られている。まずイラクについては、サダム・フセイン体制が続く限りは現状を維持するというアメリカの方針に従う以外の選択肢は残されていない。下手に動くと、脆弱なアメリカ主導の力によるバランス政策が崩壊する恐れがあるからである。ただし、サダム・フセイン体制崩壊後は、いつでも親イラク政策に転換可能なよう、下準備を怠ってはならない。つまり、サダム・フセイン体制崩壊時には、声を大にして以後の対イラク積極援助を表明し得るような体制を整えておくことが望ましい。

 イランに関しては、今がアメリカとの政策協調を始める好機と捉えるべきである。つまり、中央アジアのエネルギー資源確保のため、その輸送路と関連インフラ整備を日本が担当するという話しをイラン、アメリカ両国に持ちかけるなどして、対イラン第二次借款停止以来冷え切っていた日本・イラン関係を修復する努力を行う事が望ましい。ただし、アメリカが対イラン対話再開に踏み切り、部分的経済協力を実際に開始するまでには数年かかると考えられる。ましてや政治面での協調に至っては、先が読めない。日本としては、一時の熱に浮かされてあまりはしゃぎ過ぎることの無いよう、また、長期的湾岸安全保障体制の基本的力学を見失うことの無いよう、腰を据えて行動したいものである。