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愛知県田原町

糟谷磯丸

かすや・いそまる

1764(明和元年)〜 1848(寛永元年)
漁夫歌人

プロフィール

糟谷磯丸は、江戸時代、明和元年(1764)5月3日に現在の伊良湖町で漁師の家の長男として生まれました。当時の伊良湖村は貧しく、そのうえ31歳で父を亡くし、母は長い間病気でした。親孝行の磯丸は、母の病気が治るように3年間近くの伊良湖神社に毎日お参りをし、そのかいあってやがて母の病気は良くなりました。磯丸が和歌に興味を持ったのは、ちょうどこの頃で、伊良湖神社にお参りする旅人たちが歌を口ずさむのを聞き、その短い言葉の中に不思議な魅力を感じたためでした。磯丸は、もともと漁師で文字を書くことができませんでしたが、努力し歌を作るようになりなりました。そして現在の亀山町に住んでいた大垣新田藩の役人、井本常(いもとつねかげ)に文字や和歌の教えを受け、「磯丸」という名前をもらいました。その後、吉田(現在の豊橋市)の女性の歌人、林織江(はやしおりえ)が伊良湖へ旅をしたときに磯丸が世話をしたのがきっかけとなり、織江の先生であった京都の芝山大納言持豊(しばやまだいなごんもちとよ)の弟子になり、「貞良」の名前をもらい、ますます歌がうまくなっていきました。

磯丸は旅が好きで、三河各地をはじめ、南信州、静岡、遠くは京都、伊勢、尾張、江戸なども旅をしています。また、田原の殿様に呼ばれ、田原城の月見で歌を詠んだこともありました。

磯丸は、一生のうちに数万首の歌を作ったといわれています。中でも「まじない歌」は、当時の人々の暮らし向きや磯丸の人がらがよく表れています。磯丸が詠んだまじない歌は、人々の願いや困りごとなどを誠心誠意、心を込めて歌にしたものです。磯丸に歌を詠んでもらい、その歌を石碑にしたり、掛軸にして床の間に掛けると、不思議とその願いがかなったのです。磯丸は、その行く先々で歌を詠んでほしいと頼まれ、断ることもなく、それぞれの願いを歌にしていきました。

老若男女、身分、貧富を越えて、多くの人々に愛された磯丸は、嘉永元年(1848)、生まれた日と同じ5月3日に85歳で伊良湖の地で亡くなりました。

磯丸を慕う人々は神様としてお祀りすることを願い出、それが許され「磯丸霊神(いそまるれいじん)」の名前をもらいました。神様となった磯丸のために伊良湖の人たちは、「磯丸霊神の祠」をつくりました。この祠は、現在、伊良湖神社境内に「糟谷磯丸旧里」の石碑とともにあります。


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